ICカード免許証を車のアクティベーションキーとして使う

昨今、高齢者の認知機能の低下による交通事故が増えており、事故が発生する度に免許返納の必要性が議論されるものの、一向に状況は変わっていないように見える。 しかし、免許証を返納したら事故を防げるかと言われると、そうとも限らない。たとえ免許が無くても、キーさえあれば車は動く。ましてや、認知機能が低下している状態で、免許の有無を冷静に判断して車に乗るとは思えない。 いっそのこと、免許証を差し込まないとエンジンがかからないようにしてしまえばいいのでは? 日本の免許証は、2007年から順次ICカードに切り替わっているようなので、現在有効な免許証は全てICカードのはず。であれば、ETCカードのように車載カードリーダーに差し込むことで、様々な機能の制御に使えそう。 例えば、 始動制御 免許証を返納しているとそもそもエンジンを掛けられない。 一定の年齢を超えると、定期的な検査、有効化を必要とする。 免許停止中はエンジンを掛けられない。 出力制御 年齢や運転歴によって速度やアクセル開度にリミッターがかかる。 緊急時対応 衝突を検知すると事前に登録した緊急時連絡先に自動で通知する。 決済 クレジットカード会社と連携し、ETCカードやICカード決済に利用できる。 これまで免許証がICカードになったことによるメリットを感じたことがないが、上記のような機能があれば十分投資する価値があると思う。カーシェアリングサービスの初期投資もかなり抑えられるはず。 もちろん、実現するには様々なハードルがあるだろうが、2019年2月時点でのETC普及率が91.9%(国土交通省)であることを踏まえると、(100%自動運転化よりも)十分現実的な施策だと思いますが、いかがでしょう?

通勤ラッシュをなくす方法

都市圏に根強く残る満員電車で消耗する問題。未だに多くの人が朝の通勤ラッシュに揉まれ、オフィスに着く頃には肉体的にも、精神的にも疲弊している。 個人的には、健康増進も兼ねてなるべく自転車で通勤したいと思っているが、天候の問題、顧客訪問時の服装の問題、会食等での飲酒の問題などがあり、結局電車で通勤することの方が多い。 今日もJR山手線が事故の影響で遅延しており、ひどいラッシュだった。そしてラッシュ時にはかなりの頻度でホームにある非常停止ボタンが押され、さらに遅延するというスパイラルに入る。 乗客にとってはまさに地獄のような状況であり、非常停止ボタンが押されるということは誰かが危険に晒されているということだ。 にも関わらず、こんな状況が続くのはなぜか? それは、それでも「何とかなってしまっている」から。 もし、公共交通機関の乗車率に制限を設けたらどうだろう? 例えばエレベータのようにある一定の乗車率(車両ごとの重量等で判断)を超えるとブザーが鳴ってドアが閉まらなくなるとか。 当然のことながら、一部の通勤客が電車に乗ることができず、大幅に遅刻する、もしくは出社できなくなるという事態が発生する。 でも、それでいいのではないだろうか? これまで、公共交通機関の本来想定された乗車率を大幅に超えて詰め込まれ、疲弊しながら通勤することで、定時で働くことが実現されている。つまり、労働者のみに無理な負荷がかかっている。いや、実際には労働者が疲弊し生産性が落ちることで、企業にとっても良くない状況なのかもしれない。 物事は「何とかなっている」となかなか変わらないので、あえて「どうにもならない」状況にしてしまうのが変化への近道だ。 公共交通機関の乗車率に制限をかけることで、定時にはどうにも出社することができなくなり、 企業は、定時勤務を見直したり、リモート勤務を推進したり、「働き方改革」を推進せざるを得なくなる。一方、従業員が通勤で疲弊することは少なくなり、生産性が上がることが期待できる。 公共交通機関は、輸送による収益率は下がるかもしれないが、乗客にゆとりが生まれることで、トラブルが減り、飲食や物販等の付随する事業の成長が期待できる。 もちろん個人は、通勤のストレスが減り、高まった生産性により待遇が上がり、通勤中に健康や能力を伸ばすための機会を得てQOLが上がることが期待できる。 これ、良いと思うんですけど、いかがですか?

金魚と水槽、人間と環境、バイオフィリアな社会

我が家のリビングには30cmサイズの水槽があり、1匹の金魚が住んでいる。 3年ほど前に夏祭りの金魚すくいで4匹の金魚をすくったのがきっかけだ。他の3匹は飼い始めてすぐに弱ったり、自ら水槽の外に跳ねて死んでしまったのだが、1匹だけ力強く生き残り、今は10cm超の巨大金魚に成長している。 しかし、その彼(彼女?)もある時から急に成長が止まってしまった。どうやら金魚は水槽のサイズがリミッターとなって成長が止まるメカニズムがあるらしい。 このメカニズムはとても興味深く、生物全般に共通して似たようなメカニズムがあるのではないかと考えている。 人間も、幼少期から青年期にかけて急成長し、成人期に入ると徐々に成長スピードが衰え、とあるタイミングで成長が止まり、衰えていく。ここで言う成長とは、物理的サイズだけでなく、精神的・経験的な成長についても同じことが言えるのではないだろうか? 成長期には身の回りの環境に無限の広がりを感じていたが、徐々に身の回りの全体像を理解し、最終的には心地の良い環境をつくり、そこに閉じこもってしまう。そのタイミングで成長が止まっているのかもしれない。 人間の集合体である組織、企業においても同様のメカニズムがあるように思う。ビジネスのドメインや、オフィスのサイズも金魚にとっての水槽のように成長のリミッターになっているかもしれない。 幸いにも、金魚と違って、人間は自ら環境を変えることができる。人も組織も、さらなる成長を望むのなら、積極的に新しいチャレンジをし、自らの行動フィールドを広げる必要がある。 以前から、社会で起きているあらゆる事象は自然科学の法則に基づいている、という仮説を持っているのだが、どうやらそれは「バイオフィリア」もしくは「バイオフィリックデザイン」という分野で、世界で注目され始めているらしい。(社会情報大学院大学で私が担当する講義にゲストでお招きしたparkERsの梅澤さん談) イノベーター・ジャパンで実践しているビジネスデザイン、および組織マネジメントにも何らかのバイオフィリアを実装できないかと模索している。個人的に、アートやアート思考にも注目しているのだが、「art」という言葉自体に「自然の模倣」という意味があるらしい。 昨年書いた「自然とアート – ビジネスデザインの源」の解像度が徐々に高まってきた感覚を感じている。