やりたいことが見つからない症候群の原因

チームラボ・猪子氏が語る、「やりたいこと」を見つけるたったひとつの方法 を読んで色々と考えてみた。 自分の会社でキャリア面談をしていても、やりたいこと(WILL)が明確に見えている人と、そうでない人が大きく分かれる。 以下、自分なりの仮説。 やりたいことを見つけるためにはセンサーとなるアンテナが必要。 そのアンテナは幼少期に遊びを通して立てられる。 しかし、「教育」や親の期待によって、アンテナが感じているものと異なることをし続け、次第にアンテナの感度が下がり、しまいには圏外になってしまう。 それが「やりたいことが見つからない」症候群の主な原因のような気がする。 実感として、親や先生の言うことをしっかり守ってきた、いわゆる「優等生」の方がこの状態になっているケースが多い。 では、やりたいことが見つからない症候群にならないためにはどうすればいいか? 自分のアンテナに正直に生き続けるしかない。 親や先生は、自分達の価値観を押しつけず、子供のアンテナを尊重してサポートすることが役目。そして、自分のアンテナを信じ、自信を持って行動できるようにしてあげることこそが本来の教育のはず。 大学選びや就職活動にも口を出してくるような親は典型的なNGパターン。 一度圏外になってしまったアンテナは、果たして復活させることができるのか。 できると信じて処方箋を探りたい。

サドルの高さから見える価値観の違い

いよいよ今年もロードレースの祭典ツール・ド・フランスの季節ということで、昨年のレースの映像を観ていたところ、解説の栗村氏が興味深い話をしていた。 自転車のサドルは、ヨーロッパだとおばさんでも高く設定するが、日本だと止まった時に足が付くように低くしている。 ロードバイクやMTBに乗る人はご存じだろうが、自転車のサドルは、ペダルが最も下に来た時に足が伸びきる高さに設定するのが最も運動効率が高い。しかしながら、この高さだとサドルに座った状態では地面に足が付かない。 日本では、万が一の時に安全を保てるように、運動効率よりも地面に足が付くことを優先する。一方ヨーロッパでは、運動効率を優先して、万が一の時はサドルから降りればいいというスタンス。 この価値観の違いが、社会のいたるところに見られる気がする。 多少極端だが、 万が一に備えたお受験戦争 → 幼少期の大切な時間を犠牲 万が一に備えた大企業就職 → 本当にやりたいことを犠牲 万が一に備えた生命保険加入 → 今使える資金を犠牲 あるかわからない未来のリスクのために今を犠牲にする傾向が、日本ではかなり強いように思う。 個人的には、犠牲は最小限に、今しか得られないことを最優先すべきと思うわけですがいかがでしょう?

聴きこむこと

View image | gettyimages.com WOWOWの洋楽主義という番組でMR.BIGの特集をしていたので見入ってしまった。 昨年、錦織君の試合を観てすぐ解約しようとWOWOWに加入したけど、結局加入しっぱなしで、意外と番組(特に生中継)のクオリティが高いのが気に入っている。 MR.BIGは高校生の時によく聴いていて、バンドでも何曲かコピーしていたので懐かしかった。今では色んなジャンルの音楽を聴くけど、やっぱりロックはDNAが反応してしまうね。 そんなことを感じつつも、最近は音楽との付き合いが浅くなってしまったなと思う。 音楽を一番聴いていた学生の頃は、CDやMDなどのメディアだったので、入れ替えたり持ち運んだりするのが面倒で、1つのアルバムをリピートで聴くのが普通だったし、自分でラベルを書いたりして、十数曲のパッケージに愛着を持って聴きこんでいた。 しかし、iPodが登場して大量の音楽を持ち運ぶことができるようになってから、1つのアルバムをリピートすることはおろか、アルバムを通しで聴くことも無くなってしまった。ましてやSpotifyなどのストリーミングでは、とあるテーマで集めたプレイリストで聴くのが一般的になり、「アルバム」というパッケージ自体がもはや形骸化してしまっている。 「聴きこむ」機会が減ってしまったことによって、楽曲に魂を揺さぶられるような感覚をなかなか味わえなくなってしまったなと思う。(「最近の若いもんの音楽はわからん」的な爺さん化現象もあるかもしれないが) これは音楽に限らず、WEBから様々な情報を手軽に入手できるようになってから、情報の取得がザッピング的になり、深く考えることをしなくなってしまったかもしれない。 クリエィティブなことをするためには、魂に栄養を与えるように、色々な刺激を受ける必要があると考えているが、表層的な行為だけで終わっていることが往々にしてありそうなので要注意。 何はともあれ、音楽好きとしては、NO MUSIC, NO LIFEというレベルで音楽と付き合っていたい。