日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう

ソフトバンクグループの孫正義社長がそう語ったそうだが、自分の実感値もおおよそ同じ。

日本に閉じ籠もっているとなかなか実感が湧かないかもしれないが、今まで「途上国」として勝手に下に見ていた国を訪れると、この指摘は間違っていないことがわかると思う。

ではなぜここまで後れてしまったのか?

それはやはり第三次産業革命、つまりIT革命に乗り遅れたのが致命傷だったと思う。

その原因は、多くの企業は国内市場のみの、従来型の折衝型ビジネスで成り立っているため、ITがそれほど大きな事業インパクトを与えづらい等諸々あるが、日本人に「楽したい」というマインドが薄い(あるのかもしれないが、良しとされない)ことが主因のような気がしている。

IT革命の立役者であるコンピュータ(自動計算機)は、「膨大で退屈な計算をしたくない」という怠惰さが開発の動機になったと言われているが、どの産業革命も実は「楽したい」というマインドが原動力になっていたように思う。

The Greatest Story Ever Told

未だに「楽せず時間をかけて頑張ることに価値がある」という根性論が支配しており、労働生産性とは全く正反対の方向に社会を導いていることは明白だ。

今、AIによる第四次産業革命が起きつつあると言われている。しかし、AIを活用するためには、情報がデジタルデータとして蓄積されていることが前提であり、日本においてはまずデジタルトランスフォーメーションが必要だ。既に周回遅れではあるが、一足飛びに「AI」を銘打ったツールだけ導入しても、中身がアナログでは生産性は上がらず、むしろコストが嵩むだけである。

そして、AI活用においても「どう楽するか」から考えないと生産性を高める方向には向かっていかない。

ところで、労働生産性を高めることは、人々の幸福度を高める上でも重要だが、「先進国」になってアメリカや中国と同じ土俵で張り合うことが、果たして我々の目指すべきゴールなのだろうか?

自分はそうではないような気がしている。

もしAIが社会を変革するのであれば、人の働き方や生き方が変わる事を見越し、どのような付加価値を生む国・地域・組織であるべきなのか? 答えの無い中でもビジョンを描かないと、いつまでも「後進国」であり続けるしかない。


昨今随所で「アート思考」という言葉を見かけることが増えてきました。「アート」という表現が、絵画や彫刻などのアート作品を想起させてしまい、自分とは縁遠いものと感じてしまう人もいるかもしれません。しかし、「アート」には「自然の模倣」という意味があり、要は「自然思考」と言えるのではないかと考えています。

人は自然の一部であると考えた場合、我々はどんな状態にいることが最も望ましいのか?

本能的に未来を描いてみてもいいのではないかと思います。

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