通勤ラッシュをなくす方法

都市圏に根強く残る満員電車で消耗する問題。未だに多くの人が朝の通勤ラッシュに揉まれ、オフィスに着く頃には肉体的にも、精神的にも疲弊している。 個人的には、健康増進も兼ねてなるべく自転車で通勤したいと思っているが、天候の問題、顧客訪問時の服装の問題、会食等での飲酒の問題などがあり、結局電車で通勤することの方が多い。 今日もJR山手線が事故の影響で遅延しており、ひどいラッシュだった。そしてラッシュ時にはかなりの頻度でホームにある非常停止ボタンが押され、さらに遅延するというスパイラルに入る。 乗客にとってはまさに地獄のような状況であり、非常停止ボタンが押されるということは誰かが危険に晒されているということだ。 にも関わらず、こんな状況が続くのはなぜか? それは、それでも「何とかなってしまっている」から。 もし、公共交通機関の乗車率に制限を設けたらどうだろう? 例えばエレベータのようにある一定の乗車率(車両ごとの重量等で判断)を超えるとブザーが鳴ってドアが閉まらなくなるとか。 当然のことながら、一部の通勤客が電車に乗ることができず、大幅に遅刻する、もしくは出社できなくなるという事態が発生する。 でも、それでいいのではないだろうか? これまで、公共交通機関の本来想定された乗車率を大幅に超えて詰め込まれ、疲弊しながら通勤することで、定時で働くことが実現されている。つまり、労働者のみに無理な負荷がかかっている。いや、実際には労働者が疲弊し生産性が落ちることで、企業にとっても良くない状況なのかもしれない。 物事は「何とかなっている」となかなか変わらないので、あえて「どうにもならない」状況にしてしまうのが変化への近道だ。 公共交通機関の乗車率に制限をかけることで、定時にはどうにも出社することができなくなり、 企業は、定時勤務を見直したり、リモート勤務を推進したり、「働き方改革」を推進せざるを得なくなる。一方、従業員が通勤で疲弊することは少なくなり、生産性が上がることが期待できる。 公共交通機関は、輸送による収益率は下がるかもしれないが、乗客にゆとりが生まれることで、トラブルが減り、飲食や物販等の付随する事業の成長が期待できる。 もちろん個人は、通勤のストレスが減り、高まった生産性により待遇が上がり、通勤中に健康や能力を伸ばすための機会を得てQOLが上がることが期待できる。 これ、良いと思うんですけど、いかがですか?

金魚と水槽、人間と環境、バイオフィリアな社会

我が家のリビングには30cmサイズの水槽があり、1匹の金魚が住んでいる。 3年ほど前に夏祭りの金魚すくいで4匹の金魚をすくったのがきっかけだ。他の3匹は飼い始めてすぐに弱ったり、自ら水槽の外に跳ねて死んでしまったのだが、1匹だけ力強く生き残り、今は10cm超の巨大金魚に成長している。 しかし、その彼(彼女?)もある時から急に成長が止まってしまった。どうやら金魚は水槽のサイズがリミッターとなって成長が止まるメカニズムがあるらしい。 このメカニズムはとても興味深く、生物全般に共通して似たようなメカニズムがあるのではないかと考えている。 人間も、幼少期から青年期にかけて急成長し、成人期に入ると徐々に成長スピードが衰え、とあるタイミングで成長が止まり、衰えていく。ここで言う成長とは、物理的サイズだけでなく、精神的・経験的な成長についても同じことが言えるのではないだろうか? 成長期には身の回りの環境に無限の広がりを感じていたが、徐々に身の回りの全体像を理解し、最終的には心地の良い環境をつくり、そこに閉じこもってしまう。そのタイミングで成長が止まっているのかもしれない。 人間の集合体である組織、企業においても同様のメカニズムがあるように思う。ビジネスのドメインや、オフィスのサイズも金魚にとっての水槽のように成長のリミッターになっているかもしれない。 幸いにも、金魚と違って、人間は自ら環境を変えることができる。人も組織も、さらなる成長を望むのなら、積極的に新しいチャレンジをし、自らの行動フィールドを広げる必要がある。 以前から、社会で起きているあらゆる事象は自然科学の法則に基づいている、という仮説を持っているのだが、どうやらそれは「バイオフィリア」もしくは「バイオフィリックデザイン」という分野で、世界で注目され始めているらしい。(社会情報大学院大学で私が担当する講義にゲストでお招きしたparkERsの梅澤さん談) イノベーター・ジャパンで実践しているビジネスデザイン、および組織マネジメントにも何らかのバイオフィリアを実装できないかと模索している。個人的に、アートやアート思考にも注目しているのだが、「art」という言葉自体に「自然の模倣」という意味があるらしい。 昨年書いた「自然とアート – ビジネスデザインの源」の解像度が徐々に高まってきた感覚を感じている。

自らの意志に沿うことが何よりも大切な理由

人間の行動は4つのパターンしかないと考えている。 まず、動機として自分の意志に沿っていたか否かの2パターン。自分の意志に沿っていないというのは、自分の意志を持っていなかった、或いは他人の意見に従ったというケースなど。 次に、結果としてうまくいったか否かの2パターン。 この2種類の動機×2種類の結果の4パターンに大別される。それぞれのパターンでどんな成果が得られるのか見てみよう。 自分の意志 → うまくいった 最も理想的なパターンで、達成感や自信など多くの成果を得ることができ、成功体験として次の行動の強い動機になる。 自分の意志 → うまくいかなかった 多少苦い経験ではあるが、成功に向けた次の行動時に参考となる情報を得ることができる。よって、失敗とは認識されないケースも多い。 非自分の意志 → うまくいった 結果自体には満足するものの、大きな達成感や自信を得ることはできず、次の行動の動機にはなりずらい。 非自分の意志 → うまくいかなかった 最も望ましくないパターンで、大きな後悔が残り、その後も他責になりがちなケースが多い。 ここから見えてくるのは、うまくいったか否かが得られる成果に与える影響はあまり大きくなく、自らの意志に沿ったか否かが大きな分かれ目であるということ。 つまり、自らの意志に沿うことを続けていれば、もちろんうまくいかないことはあるものの、経験と自信を積み重ね、上昇スパイラルに乗ることができる。 残念ながら従来の日本の教育システムでは、他人、特に親や教師の意見が尊重され、自らの意志に沿って行動することを恐れる人が多く生み出されている。進学先や就職先を自分で選ぶことのできない若者はその典型だ。 幼少期から、自分の意志(心が本能的に反応する方向)を感じ取って行動することを習慣化し、大人は自らの意見を押しつけずにサポートする。さらに、その延長線上で社会に飛び立つ若者が増えると社会全体が活性化されるのは確実。 では、いつやるのか? 以下省略