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東京オリンピックのロゴ問題とデザイン業界の闇

東京オリンピックのロゴ、やはりボツにするみたいですね。

おそらく舞台裏は想像を絶するくらいドロドロなことになっているのでしょう。運営(権力)サイドも、従来は会議室に「身内」を集めて、「良きように」決めれば思い通りに事を進められたのに、インターネットによってそうはいかなくなってしまったことに気付きかなり焦ったはず。

今回のロゴデザインが云々というところは、何も影響を及ぼせる立場にいないので、正直どうでも良いのですが、自分も分野は違えど関わっているデザインの世界にこれほどまでにパクりが蔓延してしまうことに興味がある。

世の中のデザイナーやクリエイターは、人と同じことをするのが大嫌いで、オリジナルの何かを実現したいからその職業を選んだはず。しかし、好きで始めたデザインが、いつの間にか「仕事」になり、以前であれば頼まれてもしなかったパクりが横行してしまう。

権利侵害は良くないことはもちろんだが、元々尖っていた人をそこまで変えてしまう環境にも何か問題があるのではないかと考えている。

自分が主要因だと考えるのは「デザイン」に対するコンセンサスの低さ。日本において一般には「デザイン」は狭義のビジュアルデザインと認識されているが、本来は哲学や想いなどのコンセプトに基づき、何らかの目的を達成するための論理的な思考であると考えている。

こういったギャップが潜在的にあるため、クライアントとデザイナーの間で話が噛み合わないことが往々にして起こる。デザイナーにはコンセプトと目的だけ伝えて後は任せる、というのがベストなスタイルだと考えているが、多くの場合、発注段階で「赤基調で」とか「ここは丸く」などのビジュアル的なスペックを指示してしまったり、「こんなイメージで」とネットから拾ってきたイメージを見せたりする。

こうなってしまうと、デザイナーにできることはクライアントの指示に従い絵を描くくらいで、「デザイン」をする余地はほぼ無くなる。ラフ案を出してからも、ひたすらクライアントの「好み」に近づけるために修正を繰り返す。こういった案件を繰り返すうちに、もしかするとデザイナーの心はデザインから離れ、クライアントとの信頼関係が崩れ、やっつけ仕事になっていくのかもしれない。

佐野氏を擁護するわけではないが、事務所のアシスタントもそういった行為に手を染めてしまうあたり、業界全体の闇を感じてしまう。

しかしながら、私は本来のデザイン力が日本の持つ最も重要なポテンシャルの一つだと考えているので、デザインに対する正しい理解を深め、より高次元なデザインワークができる社会にしていきたい。

佐野氏とは個人的面識は無いが、起きてしまったことは清算して経験とし、デザイン業界にインパクトを与えるような復活劇をデザインしてくれることを期待したい。

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