自らの意志に沿うことが何よりも大切な理由

人間の行動は4つのパターンしかないと考えている。 まず、動機として自分の意志に沿っていたか否かの2パターン。自分の意志に沿っていないというのは、自分の意志を持っていなかった、或いは他人の意見に従ったというケースなど。 次に、結果としてうまくいったか否かの2パターン。 この2種類の動機×2種類の結果の4パターンに大別される。それぞれのパターンでどんな成果が得られるのか見てみよう。 自分の意志 → うまくいった 最も理想的なパターンで、達成感や自信など多くの成果を得ることができ、成功体験として次の行動の強い動機になる。 自分の意志 → うまくいかなかった 多少苦い経験ではあるが、成功に向けた次の行動時に参考となる情報を得ることができる。よって、失敗とは認識されないケースも多い。 非自分の意志 → うまくいった 結果自体には満足するものの、大きな達成感や自信を得ることはできず、次の行動の動機にはなりずらい。 非自分の意志 → うまくいかなかった 最も望ましくないパターンで、大きな後悔が残り、その後も他責になりがちなケースが多い。 ここから見えてくるのは、うまくいったか否かが得られる成果に与える影響はあまり大きくなく、自らの意志に沿ったか否かが大きな分かれ目であるということ。 つまり、自らの意志に沿うことを続けていれば、もちろんうまくいかないことはあるものの、経験と自信を積み重ね、上昇スパイラルに乗ることができる。 残念ながら従来の日本の教育システムでは、他人、特に親や教師の意見が尊重され、自らの意志に沿って行動することを恐れる人が多く生み出されている。進学先や就職先を自分で選ぶことのできない若者はその典型だ。 幼少期から、自分の意志(心が本能的に反応する方向)を感じ取って行動することを習慣化し、大人は自らの意見を押しつけずにサポートする。さらに、その延長線上で社会に飛び立つ若者が増えると社会全体が活性化されるのは確実。 では、いつやるのか? 以下省略

自然とアート – ビジネスデザインの源

2018年も残すところあと1週間となりましたね。 今年は念願のキャンプデビューを果たし、関東近郊の色々な山で家族とテントで過ごしました。特に印象的だったのは、奥飛騨にある平湯キャンプ場。元々行く予定だった所が自分のミスで予約できておらず、たまたま現地で見つけた場所なのですが、サイトの雰囲気も良かったし、近くの平湯温泉が絶妙に気持ちよかった。 つい先日も、parkERsのクリエイティブディレクター城本さんと本栖湖(富士五湖)の浩庵キャンプ場でデイキャンプをしてきましたが、湖畔のキャンプも幻想的で森とは違った良さがありました。今回は残念ながら見えなかった浩庵キャンプ場からの富士山は、千円札にも描かれる有名な景色らしいです。(次回に期待) なぜ突然キャンプに目覚めたかというと、子供のための自然体験という側面もあるのですが、以前から自然および自然科学の中にビジネスに応用できる様々なヒントがあると感じており、それを自らが感じて具現化したいと思ったからです。また、人工的な情報に囲まれ続ける都会から定期的に離れ、自らのアンテナの感度を取り戻したいという理由もあります。 一方、アートについても今年色々と研究し、これからアートこそがビジネスのキモになるという考えに至っています。ここで言う「アート」と「ビジネス」は、絵画などのアート作品を売り買いするという意味ではなく、人間の直感や根源的な感情に基づいた価値が商品やサービスになっていくだろうということです。 自分自身も以前はアートとデザインの違いについてあまり理解していなかったのですが、私が担当する社会情報大学院大学の講義でteamLabの猪子さんをお招きした時に伺った「アートが美しいを定義し、その定義に基づいてデザインがある」というお話しが非常にしっくりきて、それ以降「デザイン思考」の限界や「アート思考」の必要性について考えています。(これについては書籍化すべく、頭の中で整理していますので乞うご期待) ところで「自然」と「アート」、どこか共通点を感じませんか? ヒントは「人」。 人にも色々な意味があり、 ヒトという生物としての人 社会人としての人 ビジネスマン(生産者)としての人 などなど。人は日々情報をインプットし、それを何らかかの価値に変えてアウトプットする生き物です。しかし、その活動が2や3に偏り、1が疎かになっていませんか? まさに自然はヒトへのインプットであり、そこからアウトプットされるものがアートであると考えています。 社会全体があまりにも論理的、左脳的になってしまったために、効率的ではあるかもしれないけれど、本来最も考慮すべき「人」やそれらを取り巻く環境のために必ずしもベストではない状況が多発しているように感じます。 イノベーター・ジャパンは「人のポテンシャル最大限に引き出す」ということをミッションに掲げていますが、そのために「自然」と「アート」は欠かせない要素だと考えています。同時に、当社が提供するビジネスデザインをそれらの定義に基づいた付加価値創造に進化させるべく、2019年に向かいたいと思います。 というわけで、皆さま2018年も大変お世話になりました!

ラッシュを放置するから痴漢も冤罪もなくならない

最近、通勤時間帯に痴漢と疑われた人が(真偽はさておき)線路に逃亡するケースが頻発している。 線路への立ち入り「逃走」相次ぐ…「痴漢」を疑われた場合、どう行動すべきか? 自分も中学生の頃から電車通学をしていたので、怪しいシーンに遭遇することはよくあったし、今でも山手線を使って通勤しているが、かなりの頻度で「緊急停車」が発生し、そのうちの一定割合が痴漢事案らしき雰囲気だ。 一時前まで「痴漢と疑われたらまずその場を立ち去るべき」といった情報がテレビやネットで伝えられていただろうが、さすがに線路に逃亡して賠償金や命を落とすリスクを負うのは本末転倒。 もちろん痴漢を犯す人間が悪いのだが、ラッシュ(200%を超えるような乗車率)を容認している鉄道会社にも一定の責任があると思う。 朝晩のラッシュを経験したことのある方ならわかると思うが、すし詰めの電車内では人と人が接触せざるを得ない状況になっている。つまり、物理的な接触が容認されているため、それが意図的かどうかがわからない状態になってしまう。 これが痴漢が入り込む隙になり、冤罪が発生する原因でもある。さらにこのストレスが乗客をいらつかせ、「お客様トラブル」も頻繁に引き起こしている。 痴漢・冤罪問題をなくすには? では、どうすれば痴漢・冤罪問題をなくすことができるのか? 自分も電車通勤をする以上そのリスクに晒されているわけで、何とかしてこんなくだらないことに気を遣わなくて済むようにしたい。 いっそのこと、乗車率の上限を法律で定めてしまうのはどうだろう? エレベーターと同じように、規定の重量を超えるとアラームが鳴りドアが閉まらなくなる。乗客の間に適度な空間が保たれることによって、痴漢が入り込む隙をなくしてしまう。結果、冤罪や「お客様トラブル」のリスクも限りなく低くなる。 一方、これによって電車に乗れない人が発生し、これまでの時間には出社できなくなるかもしれない。でも、それはそういうものとして諦める。人々が健康的に通勤できるキャパシティはそれだけしかないのだから。 その時間に出社できなくても、時間をずらしたり、リモートワークをしたり、いくらでも働く方法はある。20km程度であれば自転車でも十分通勤できる。働き方改革や健康増進もできて一石二鳥。 鉄道会社のビジネスにもマイナスの影響があるかもしれない。それもそういうものとして認めるしかない。乗客を健康的に輸送する手段を提供できていないのだから。 しかし、従来の輸送手段を変えなくてなならないということは、イノベーションのチャンスでもある。たとえば、山手線は環状なのだから環状に繋がった車両を走らせればキャパシティを増やせるかもしれない、とか。(適当) 日本人は忍耐することを良しとする価値観のために、問題のある状態を耐えて放置する傾向があるように思う。そのマインドセットが、ラッシュ問題だけでなくブラック企業問題など様々な社会問題の根底にあり、変化やイノベーションを妨げている。 これを機に、通勤にイノベーションを起こしませんか? イノベーター・ジャパンでは郊外型ワークスタイルの実験として&donutsプロジェクトを推進しています。